2020年12月18日
※本稿では12月23日発売の『医療崩壊の真実』の序章「はじめに」を先行して全文公開します
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新型コロナウイルス(COVID-19)の世界的な感染拡大によって、私たちの社会はこれまでにないほど大きなダメージを受けました。2020年12月現在、感染拡大の第3波が到来、未だおさまる気配をみせていません。
緊急事態宣言による外出自粛や休業要請で外食産業は苦境に立たされ、廃業に追い込まれてしまった事業者もたくさんいらっしゃいます。また、海外への渡航禁止や都道府県をまたぐ移動も自粛を促され、観光業も大きな打撃を受けました。政府は景気・経済を復興させることを目的にした「Go To トラベルキャンペーン」を施行しましたが、ホテルや旅館の倒産も相次いでいます。猛威を振るう未知のウイルスによって、人々の生活を支えている産業が危機に直面しているのです。
そんな中で、私たちの命や健康を守ってくれている社会インフラまで「崩壊」の危機が叫ばれています。それは、「医療」です。実際、2020年に入ってから「医療崩壊」という言葉を嫌になるほど耳にしたことでしょう。
新型コロナウイルスの感染拡大によって、その治療の最前線で闘ってくれている全国の医療機関が人手や医療物資の不足、さらには経営難に陥っており、このままいけば医療提供体制が維持できないのではないか、という不安の声が強まりました。そして20年12月現在、第3波の到来を受け、再度その不安が高まっています。
もし仮に「医療崩壊」が起きてしまったら、感染による死者が増加するだけではなく、新型コロナ以外の病気の治療や手術も満足にできなくなってしまいます。つまり、これまでならば救えたはずの命が失われてしまうのです。そんな最悪の事態は絶対に避けなくてはいけません。
そこで取られた対策が、人の接触を8割削減することを目指した政府の緊急事態宣言の発出や、自治体が飲食業へ向けて出した「休業要請」でした。日本人の多くが社会経済活動の自粛を強いられたのは、すべては「医療崩壊」を避けるためだった、というのはご存じの通りです。
このような調子で、今や日本人ならば誰もが知る言葉となった「医療崩壊」ですが、言葉の響きから恐ろしいイメージばかりが先行してしまって、具体的に、何がどうなったら、医療というものが崩壊するのかという「定義」がはっきりとしていません。
コロナ以前の世界で「医療崩壊」というと一般的には、医療を求める人々に対して、安定的かつ継続的な医療サービスの提供ができなくなってしまった状態を指します。例えば、大規模な自然災害やパンデミックが起きて患者が急増したのに、手術や治療ができる医療従事者や医療物資が圧倒的に足りなくなってしまう、というような状態がわかりやすいでしょう。
では、それを踏まえて今回のコロナ危機において、日本は何が足りなくなって「医療崩壊」の危機が叫ばれたのでしょうか。マスコミ報道を検証してみると、「病床」、つまりは入院患者を収容するベッドが足りないということが、「医療崩壊」につながるという考えが当時は主流だったことがわかります。以下に一例をあげましょう。
《都市の病院ベッド不足現実味 医療崩壊回避へ動く自治体》(朝日新聞2020年3月28日※12月18日時点リンクあり)
《病床埋まる恐怖、届かぬ支援 「医療崩壊が起きていた」》(朝日新聞2020年6月22日※同)
《新型コロナ影響で病床ひっ迫 救急医療〝崩壊〟のおそれ》(NHK2020年5月20日※同)
つまり、今年に入ってから日本で叫ばれてきた「医療崩壊の危機」というのは、感染者が急増することによって病床が足りなくなり、引き起こされるものだと考えられているのです。実際、NHKでは、「新型コロナ特設サイト」内の「入院者数 重症者数 対応ベッド数 全都道府県データ」というページをつくっており、現在も厚生労働省(厚労省)の発表に基づいて、新型コロナ患者に対応できるベッドの数を定期的にまとめて公表しています。
そのような話を聞くと、「当たり前じゃないか」と思う方もたくさんいらっしゃることでしょう。「ベッドが不足したら医療崩壊が起きる」ということが「一般常識」として刷り込まれるような、非常にインパクトの強い海外ニュース映像があったからです。 新型コロナウイルスが欧米諸国で猛威を振るっていた今年4月ごろ、日本のニュース番組は盛んに、イタリア、スペイン、アメリカなどで「医療崩壊」が起きていると報じ、それらの国の過酷な医療現場が紹介されました。
医療用マスクや防護服が足りないということで、何度も使いまわしたようなマスクをつけて、ビニール袋をガムテープで巻きつけたような防護服を着ている医師。「圧倒的に人が足りなくてもう1週間も帰宅していない」など涙ながらに訴える看護師。しかし、その中でも日本の視聴者たちを驚かせた衝撃的な映像が、病室のベッドが埋まってしまい、しかたなく廊下で救急搬送用のストレッチャーに寝かされている重症患者たちの姿でした。
これによって、「医療崩壊というのは、あのような病床不足の状況を指すのだ」と多くの日本人の脳裏に焼き付けられたことは否めません。そのような意味では、日本でも新型コロナの感染が拡大していく中でマスコミが「病床が足りなくなったら医療崩壊が起きる」と危機を叫ぶことも、それを正しいことだと信じている日本人が多くいるということも、現象としてはよく理解できます。
現象として理解はできるものの賛同は難しいのです。客観的なデータに基づいて分析をすると、「病床が足りなくなったら医療崩壊が起きる」というのは、実は現在の日本の感染状況においては事実ではないからです。感情的な声に流されることなく、客観的なデータに基づいて、新型コロナが医療機関にどのような影響を与えたのか、ということをしっかりと検証していく事が重要と考えます。
本書において、全国で最大700を超える医療機関のデータで新型コロナ患者の増加が医療提供体制にどのような影響を与えたのかを徹底的に調査してみたところ、医療現場の逼迫は日本全体の「病床数」そのものではなく、下記が影響していると見えてきました。
◆コロナ患者受け入れ病院における「専門医、ICU、治療機器」など医療資源配分の問題
◆コロナ患者受け入れ病床確保の難しさと、コロナ患者受け入れ潜在能力のある病院の存在
◆「コロナ患者重症度別治療と病床機能」のミスマッチ
「医療崩壊の危機」が叫ばれていた時期でも、実は多くの病院は集中治療室(ICU)等や一般病床の稼働率が極めて低い状態にありました。病床稼働率の低さ、つまり入院患者数減は▼予定手術や検査の延期▼新型コロナ以外の感染症患者の減少▼不要不急の受診控え──などが要因ですが、日本ではこの時期、イタリアやアメリカなどとは違う現象が起きていたのです。
それはつまり、マスコミや世間の人々がイメージ先行で考えている病床逼迫による「医療崩壊」ということと、現実の医療現場で進行している「問題」というものの間にかなり大きなギャップが存在しているということです。「医療崩壊」といわれた真実を明らかにして、本当に起きている「問題」の深淵を見極めることで、日本の医療が瀕する危機が見えてきました。そう、新型コロナが日本の医療制度の課題を浮き彫りにしたのです。
自己紹介が遅れました。私は医療経済学者のアキよしかわと申します。「医療経済学」というのは、治療、手術、医療制度、政策、保険など医療に関わるさまざまなことを経済学の手法を用いて分析をしていく学問で、日本ではあまり馴染みがないかもしれませんが、世界的には経済学の中でも非常にメジャーな分野です。
この医療経済学の中で、各種指標によるベンチマーク分析という手法を主に用いて、私はこれまでアメリカ、ヨーロッパ各国の病院を数多く分析してきました。2004年には、本書の共著者である渡辺さちことグローバルヘルスコンサルティング・ジャパン(GHC)という病院のコンサルティングを行う会社を設立し、日本の病院の分析もスタートしました。今では約20名のコンサルタントとともに、これまで800を超える急性期病院のベンチマーク分析を行い、病院経営の改善に役立てていただきました。
この800病院は国内にある急性期病院(DPC対象病院 文末※1)の約半数近くに相当します。医療の専門コンサルタントと共にこれだけの規模のベンチマーク分析ができる組織は日本ではGHCしかないという強い使命感を渡辺とともに抱き、日本の病院をより良くしていきたいという熱い想いで活動して参りました。
GHC設立から社長を務める渡辺さちこは、看護師資格そして米国ミシガン大学で医療経営学と応用経済学修士の学位を取得し、日本ジョンソン&ジョンソン社で、医療の現場も経営も理解した病院経営のコンサルタントとして多くの病院経営の改善に携わってきました。設立より16年、GHCには多くの仲間たちが加わりました。そして今日も渡辺は医療専門コンサルタントやITの専門家などとともに、日本の医療機関のあるべき将来を描き、データを軸にした経営改善の提案を行っています。
そんな「実証分析」で医療の実態を可視化しようとする私たちは、2020年6月から「新型コロナの影響分析レポート」という調査結果を4回にわたって公表しました。この未曾有の危機で、多くの病院が苦しい状況に追いやられている中で、GHCとしても何か支援ができないかということで始めたのがきっかけです。
このコロナの影響分析レポートの参加病院の多くは、地域の重症患者の治療を24時間体制で行う大きな病院、いわゆる「急性期病院」です。このような病院は、地域の新型コロナ患者の対応はもちろん、がん、心疾患や脳血管疾患、命に関わる外傷などの緊急対応にあたります。急性期病院が医療サービスを安定的に供給できなくなった状態が「医療崩壊」なわけですから、この調査の結果はそのまま日本の「新型コロナによる医療崩壊」の危険性を示していると言ってもいいでしょう。
その結果はどうだったかというと、先述したように、「新型コロナで病床が足りなくなる」、「病床が不足して医療崩壊が起きる」と恐れられた予測は実態から大きく乖離していたのです。日本全体で病床は有り余るほど潤沢にあります。本質は医療機関の病床機能や専門医師などの医療資源について、場所やタイミングなど「配分」の問題であることが見えてきました。コロナ患者を受け入れた医療機関で必要な医療資源が不足していたり、受け入れていなかった施設の中には充足していたけれどコロナ対策に活かされず有効活用されなかったりといった医療資源もありました。
実は医療資源「配分」の問題の背景に、日本において〝病院数過多〟による医療資源の「分散」という深刻な問題があるのです。今回コロナがその「分散」の問題を「医療逼迫・医療崩壊」という形で炙り出した形です。
「医療崩壊」というショッキングな言葉に踊らされるのではなく、実際になにが起きていたのか、なぜこのような言葉が叫ばれるようになったのかということを細かく検証していかなければ、医療機関が新型コロナ危機を乗り越えていくことができないと考え、私たちは筆をとった次第です。
問題を解決するには、まずはその問題を正しく認識しなくてはいけません。誤った認識であれば、そこから導き出される解決方法も誤っているということなので、いつまでたっても問題が解決できないからです。
今、コロナ危機に直面した医療機関に問われているのもここではないでしょうか。つまり、コロナ危機を乗り越えていくためにも、まずは医療機関でなにが起きたのかを正しく認識をしなくてはいけないのです。正しい認識とは、思い込みや希望的観測、感情論ではなく、事実に基づいた冷静で客観的な認識です。
そこで本書では、GHCが20年6月から公表してきたデータを新たに分析し、あの時、実際に病院では何が起きていたのか。それは、病院で働く人々や病院経営にどのような影響を与えたのか。そして、それは本当に「医療崩壊」と呼ぶべきようなことだったのか──。これまで多く叫ばれてきた「医療崩壊」の真実を検証していきたいと考えています。
もちろん、データを分析して考察するだけでは、日本の医療をより良くさせていくことはできません。本書の後半には、病院と病院で働く人のための団体である、一般社団法人「日本病院会」の相澤孝夫会長にご登場いただき、私と渡辺と3人で、新型コロナ危機を経て、日本の医療、病院はどのような道に進むべきなのか、ということを一緒に考えていきたいと思います。
冒頭でも申し上げたように、新型コロナウイルスという困難は、私たちの社会に大きなダメージを与えました。しかし、その一方で、この困難というのは、日本社会をより良い姿へと進化をさせていくチャンスにもなるのではないか、と私たちは考えています。
事実、今日本では行政改革やデジタルトランスフォーメーションの気運が高まっています。行政改革もIT化もかねてから必要性が指摘されていたことでしたが日本ではなかなか進められていませんでした。では、なぜそれがここにきてお尻に火がついたように改革のムードが高まっているのかというと、やはりコロナ危機がきっかけです。
日本政府は緊急経済対策として全国民すべてに1人10万円を支払うということを決定しました。しかし、みなさんの手元に届くのに3カ月以上もかかりました。先進国でこのような遅い対応をしている国はありません。ベトナムや台湾ではITを活用して迅速に給付金を支払っています。「世界第3位の経済大国」「先進国の中でも最も豊かで安全な国」などと自分たちの国は安泰だと油断している間に、気がつけば日本はさまざまな分野で「後進国」になっていたのです。
この厳しい現実を私たちはコロナ危機によって気づかされました。新型コロナがもたらした困難によって、これまで見て見ぬフリをしてきた、耳の痛い問題に向き合わざるを得なくなったのです。
それは医療もまったく同じなのではないでしょうか。本書の中で、私たちがデータで明らかにした日本の医療の実像は、もしかしたら一部の人にとっては、なかなか受け入れがたい「厳しい現実」かもしれません。「こんな話は信じられない」と目を背ける人もいらっしゃるかもしれません。
しかし、データというのは「事実」なのです。それがどんなに厳しくても、耳の痛い問題であっても、事実を事実として受け入れていただかなければ、人は成長をすることはできません。
今こそ、「不都合な真実」を見て見ぬふりをするのをやめて、厳しい現実を直視すべき時です。それこそが、日本の医療を新しい時代に向けて、より良く進化をさせるための一歩となるのです。
私、よしかわは数年前、ステージ3Bの大腸がんと宣告されました。その時、「もうだめだ」とショックを受けるのではなく、「この困難を乗り越えてやる」とチャレンジをする前向きな心が芽生え、今もがんサバイバーとして闘い続けています。このようなチャレンジスピリッツは、誰もが持っているものではないでしょうか。
人間というのは、「困難」を前にしてただ諦めるのではなく、それを乗り越えるために、創意工夫やチャレンジをする生き物だ、と私は信じています。
この本に掲載されたデータという「事実」を目にして一人でも多くの国民が、日本の医療が直面している「困難」を乗り越えよう、という前向きな気持ちを持っていただければ、これほど嬉しいことはありません。
※1 国内にはベッドが20床以上の「病院」が8300(2019年10月時点)あるが、重篤な患者に対応する「急性期」の機能を備えた急性期病院は「DPC対象病院」と呼ばれ、1730(2020年3月時点)ある。DPC対象病院は、包括支払い方式で入院医療費を請求する「DPC(診療群分類別包括払い)制度」の対象病院のこと。DPC制度は、従来型の出来高制度と比較して、1日当たりの報酬が決まっているため、過剰な診療の抑制や必要なコスト削減を促すことが期待できる。主に病床数が多く、重症患者を診療する急性期病院が導入している。
国際医療経済学者、データサイエンティスト。カリフォルニア大学バークレー校とスタンフォード大学で教鞭を執り、スタンフォード大学で医療政策部を設立する。米国議会技術評価局(U.S.Office of Technology Assessment)などのアドバイザーを務め、欧米、アジア地域で数多くの病院の経営分析をした後、日本の医療界に「ベンチマーク分析」を広めたことで知られる。米国グローバルヘルス財団理事長、グローバルヘルスコンサルティング・ジャパン会長。米カリフォルニア在住。主な著書に『Successes and Failures of Japan's Healthcare』(幻冬舎メディアコンサルティング)、『日米がん格差』(講談社)などがある。
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