GHCブログ

2011年12月29日

「風に吹かれて」 一人の父親への個人的な追悼文

娘のミナからのメールを開いてみると「リード君がかわいそう。お父さんが亡くなられたの。」と書いてあった。

今年、ずっと歩き続けて、飛び続けてきた一人の男が死んだ。

確か娘のミナが10歳の時だったと思う。ミナの通っている学校で父兄会があった。一学年20名ほどの小さな学校で、しかも小中高一貫教育の学校だったので、親はみんな顔馴染み。父兄会はいつも担任と父兄のユーモアを交えた質疑応答から始まるが、この日は担任の「あなたの人生に一番影響を与えた一つの歌、そして一冊の本はなんですか?」という質問から始まった。

子供たちの小さな机と椅子に窮屈に座りながら、僕は、「音楽だったらジャニスかスプリングスティーンの曲かなあ、本だと村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」かなあ。「世界の終わり」で最後に『私』が意識を失う前に聞いていたのは、ディランのBlowin’ In The Wind(邦題は「風に吹かれて」)だったっけ、それともHard Rain(邦題は「激しい雨」)だったっけ。どちらも捨て難い・・・」、と考えていた。

僕の隣に座っていた男が担任に当てられた。「では、一番左に座っているスティーブから。あなたに一番影響を与えた歌はなに?あなたが10歳だった頃、あなたはどんな子供だったの?

僕が10歳だった頃・・・」、一旦言葉を切り、そして微笑みながら「僕は今の自分よりもずっとクールだった」と応えたのはアップルコンピューターの創設者、スティーブ・ジョブズだった。「歌はもちろんボブ・ディランのBlowin’ In The Windだよ。」当時は元気で、ふさふさしたロンゲのスティーブだった。

風に吹かれて

どれほどの道を歩けば 男として認められるのであろうか? どれだけ多くの海の上を飛べば 白い鳩は砂浜で安らぐことができるのか どれほどの弾が撃たれたら 戦争を無くすことができるのか 友よ、その答えは 風に吹かれて 風に吹かれて、誰にも分からない

この学校では、毎日父兄が子供たちを送り迎えしていたが、驚いたことに、病身であり、そして超多忙であろうはずのスティーブが、夕方、自ら息子を迎えに来ることだった。痩せてしまい、ふさふさしていた髪が少なくなり、動きも老人のようになってしまっても、彼は息子のリード君を学校に迎えに来た。そんな彼と何を話して良いのか分からず、僕はボブ・ディランの話ばかりをしていた。ビジネス面での過激で、とてつもなく好戦的で、やり切れないほどエキセントリックなスティーブではなく、一人の優しいパパとしての彼を偲びたい。

あなたの長い長い闘いはやっと終わったんですね。ごくろうさん。あなたの魂に安らぎあれ。


Aki YOSHIKAWA


2010年6月。娘のミナとスティーブの息子のリード君の学校の卒業式




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広報部
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事例やコラム、お役立ち資料などのウェブコンテンツのほか、チラシやパンフレットなどを作成。一般紙や専門誌への寄稿、プレスリリース配信、メディア対応、各種イベント運営などを担当する。