2008年05月30日
100年経っても変わらないチャレンジ
特定・特別医療法人慈泉会相澤病院●診療情報管理課椛島博彰課長今年で創立100周年を迎える相澤病院。創立以来、変わらず救急医療を追求する同院は、24時間365日の救急医療体制を初め、急性期病院としての機能を年々、強化しています。DPC対象病院になったのは、2006年4月。以来、DPCデータを用いて分析を行い、現場のスタッフに説得のある分析結果・提案を提示することで、診療の改善に努めています。こうした分析を中心的に行っているのが、診療情報管理課の椛島課長です。
今回は、カリスマスタッフの椛島さんに話をうかがいました。お酒を前にしたインタビューのせいか、プライベートな話も満載です。
――もともとは臨床検査技師なんですよね? なぜ、臨床検査技師をめざされたのですか?正直なところ、なんとなく…。姉の友人に放射線技師の方がいて、漠然と「いいな」と思っていたんです。放射線技師になるために専門学校に願書を送ったつもりが、間違って臨床検査技師のほうに送っていたんですよ(笑)。でも、国家試験の受験の際には、必死で勉強しました。一日2時間睡眠で勉強をしたせいで、視力が落ちたほどです。おかげで当時付き合っていた彼女と別れることになりました(笑)。
~ここで、同席していたGHC渡辺亮の新婚話になり、椛島さんから「新婚時の気持ちを維持できるのは最長3年! 絶対にそれ以上はムリ!」との宣言が飛び出し…~――仕事でも、「3年で辞める若者」と言われますよね。椛島さんは、相澤病院の前には東京の河北総合病院に勤めていらっしゃったんですよね?はい。河北総合病院には、4年間勤めました。そのときに知り合った女性と結婚したのですが、彼女の出身が長野だったんです。それで、長野の相澤病院に移ったというわけです。相澤は、もう8年目になります。3年ルールには当てはまらないみたいですね。
自分の場合は、女性に関しても、一人しか愛せませんが(笑)。
――モチベーションを維持する秘訣は何でしょう?前職にしても、今の相澤病院にしても、常に新しいことをやろうという土壌がある組織なので。両病院とも、トップが、非常にリーダーシップが強いですしね。(相澤先生は)とにかくアンテナを広く張って、常に新しいことを考えている人なので、頻繁にコンタクトをとって考えを聞いたり、話しをする機会を多く持つようにしています。
――ところで、先日、読売新聞(4月15日夕刊)にもご登場されていましたね。DPCの記事ですね。あのときGHCさんからすぐに「載っていますね~」というメールをいただいたので、さすがに情報が早いなと感心していました。ただ、長野では、読売の夕刊は配られていないので、院内では誰の目にも触れられず…。だから、うちの職員はきょとんとしていました。
――(笑)。残念ですね。最後に、創立100周年ということですが、新たなチャレンジはありますか?患者さんのニーズは、昔に比べれば変わってきていると思いますので、それに対応することが一番です。ただ、救急医療を担うという私たちの使命は変わりません。今、救急の問題がテレビや新聞などの一般メディアでも取り上げられていて、救急医療に対する国民の不安が高まっています。そうした“もしも”のときに対する不安を取り除いてあげられれば…。重症の救急患者さんを24時間365日受け入れられる体制を常に整えることが、変わらないチャレンジですね。そのために私たちスタッフは365日体制で勤務しているので、できれば「EVE」のメンテナンス等も365日対応してくれれば嬉しいのですが…。
広報部 |
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事例やコラム、お役立ち資料などのウェブコンテンツのほか、チラシやパンフレットなどを作成。一般紙や専門誌への寄稿、プレスリリース配信、メディア対応、各種イベント運営などを担当する。
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