2009年02月16日
医師という仕事に誇りをもってほしい――岐阜社会保険病院・岸田院長
岐阜社会保険病院 院長●岸田喜彦先生1月28日に開催したセミナー後の懇親会で偶然の驚きの再会を果たした、写真のお二人。なんと大学卒業以来28年振りだったそうで、アルコールも手伝って、ちょっと興奮のご様子です。ここでは、お2人のうちのお1人、岐阜社会保険病院院長の岸田先生(写真真ん中)にちょこっとインタビューをさせていただきました。
――大学卒業以来の再会とはすごいですね! でも、最初は気づかなかったのですか?
お互いに全然…。だって30年も経っているうえ、体型がすっかりかわってしまっていたから。本人いわく20㎏増えたとか…。(懇親会での)自己紹介で大学名と“徳元”という名前を聞いて、「あ…」と思った。徳元(鹿島労災病院・徳元伸行副院長)は一般外科で、私は小児外科なので、専門が違えば学会で会うこともまずありません。外科学会は人数多いし、すれ違うだけではきっと気づかないでしょう。
――では本当に偶然のめぐり合わせですね。ところで、先生はなぜ小児外科を選んだのですか?
特に大きな理由があるわけではなく、「なんとなく」なんですよね(笑)。当時は今と違って外科がすごく人気でした。現在私たちが所属する名古屋大学の場合、昔から研修は各科をローテートするという仕組みでした。博士号をとるために大学に戻る際、どこのグループを選択するかを決めるのですが、そのときに何人かお声かけいただいたうちのお一人が、名古屋大学の分院の教授でした。ご専門が小児外科だったのですが、一般外科もできるという話だったので決めたのです。
――先生は雰囲気が非常にやわらかいので、小児に合っているような気がします。
でも、もともとは子どもが苦手だったんですよ。変わったのは、自分の子どもができてからですね。同じ職場だった妻からは、「最初は(小児を選んだことが)意外だったけれど、子どもとの接し方を見ていて納得した」といわれました。
――そもそも医師をめざされたのはなぜなのですか?
母方に医師が多くて幼い頃は医者になるといっていた時期もありました。ただ、父は最終的には国立病院の事務長となったので、周りに医師が多く、医学部へ行くことをよく人から勧められ、学生時代は反発していました。当時は、エンジニアだった義理の兄貴の影響もあり、工学部にでも行こうと思っていたんです。ところが最初の受験の年に失敗して、もう一年勉強することになった。そのときに一緒に受験勉強をしていた友人が突然進路を変えて、法学部からもともと志望していた医学部にいくと言い出したんですね。ちなみに、その友人は現在ある大学の脳外科の教授になっています。その様子をみていて、自分も改めて進路を考えたんでんです。予備校での周囲の影響もあったと思いますが、そのときは真摯に考えた末、やっぱり医学部にいこうと決めました。
――今は医師不足が非常に問題になっていますね。
医師も看護師も不足していますよね。それに対して、「医療崩壊」という言葉が出てきたり、マスコミも「日本の医療が大変だ」と報道し始めた。そういうニュースを見て、医師へのなり手が減ってしまうのではないかと危惧する人もいますが、私は“ふるいにかける”という意味でいいことだと感じています。というのは、若手の医師のなかには「なぜ、医師になったんだ?」と問いたくなるような人もいるからです。「救急を診るのは嫌」「夜間当直は嫌」などという人、仕事が終わっていなくても9時→17時で帰ろうとする人など…。もっと、医師という仕事に誇りをもって、意欲をもって働いてほしいですね。
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広報部 |
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